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岡山地方裁判所 平成元年(ワ)371号 判決

原告

中桐義人

ほか二名

被告

岡山県・灘崎町

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して原告中桐義人(以下「原告義人」という。)に対し、金二四一八万五〇〇〇円、同中桐裕紀子(以下「原告裕紀子」という。)、同中桐洋一郎(以下「原告洋一郎」という。)に対し各金六八〇万一〇〇〇円及びこれらに対する昭和六三年四月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告灘崎町の本案前の答弁

(一) 原告らの被告灘崎町に対する訴えを却下する。

(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。

2  被告らの本案の答弁

(一) 主文と同旨。

(二) 仮執行免脱宣言(被告岡山県のみ)

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和六三年四月一〇日午後七時二〇分頃

(二) 場所 岡山県児島郡灘崎町五六五番地JR植松駅高架下道路

(三) 被害者 原告義人の妻亡中桐弘子(以下「弘子」という。)

(四) 事故の態様

弘子は、別紙図面記載の「歩道〈1〉」(以下、別紙図面記載の各地点、場所については単に「 」で表示する。)を自転車に乗つて、県道倉敷玉野線と県道岡山児島線との交差点の方向へ南進し、「歩道〈1〉」から「歩道〈2〉」の方向に左折しようとした際にスリツプし、「歩道〈1〉」と「歩道〈2〉」の境にある「側溝」(以下「本件側溝」という。)にかけられたコンクリート蓋の上付近(「A」地点付近)で進行方向の左に傾き、本件側溝に転落した(以下「本件事故」という。)。

(五) 被害の態様

弘子は、本件側溝に転落する際、頭部打撲の傷害を負い、昭和六三年四月二一日から同月二九日まで倉敷中央病院において入院加療をしたが、右傷害に基因する脳腫瘍、脳炎等を併発し、急性心不全により同月二九日に死亡した。

2  被告らの責任原因

(一) 被告岡山県(以下「被告県」という。)は、本件側溝部分を含むJR植松駅高架下工事とその後の有蓋工事を担当したものであり、本件側溝を含む県道岡山児島線の管理者である。被告灘崎町(以下「被告町」という。)は、本件側溝の管理者である。

(二) 本件事故前、被告県が担当したJR植松駅高架下工事は、昭和六三年三月二四日に完成した。本件事故当時における本件事故現場は、別紙図面記載のとおり、「歩道〈1〉」と「歩道〈2〉」との境付近の側溝上にはコンクリート蓋五枚が設置され、その東側の側溝は無蓋であり、「側溝」の北側添いに設置されていたガードパイプは「B」地点付近がその西端であつた。

(三) 本件事故当時、本件事故現場を通過する軽車両については、以下のとおり、本件側溝の無蓋部分に転落する危険性が高かつた。

(1) 「歩道〈1〉」は、「歩道〈2〉」との境界付近では幅員が四メートルあるが、それより岡山方面に進むと幅員が約二メートルにまで急激に狭まつており、同部分を通行する者が無蓋の本件側溝に転落する危険性が十分あつた。また、本件側溝の幅員は四八センチメートルであるが、自転車に乗つた者が「A」地点まで到達した後、更に岡山方面に進行しようとすると、通行者の眼前に「のり面」部分が迫つており、通行者にとつて危険な状態にあつた。また、「歩道〈3〉」に沿つたガードパイプは「B」地点までしか伸びておらず、「A」地点に到達した者が眼前の「のり面」部分に転落することを防止するには、右ガードパイプの設置では不十分であつた。

(2) 本件側溝に面している本件事故現場の路面は、コンクリート(アスフアルト)舗装され、路面には砂が散在し、スリツプしやすい状況にあつた。

(3) 本件事故現場は、道路の湾曲部であるが、その対角部分(道路向い側)の湾曲の程度が鋭角すぎるとして、本件事故前に被告県と被告町との間でこの点に関する協議が行われたのであるから、本件事故現場についても、鋭角であることに関して安全対策を協議し、実施すべきであつた。また、本件事故現場には十分な夜間照明や道路標識等がなく、しかも、本件事故は、前記JR植松駅高架下工事が完成した昭和六三年三月二四日から二週間余り後に発生していることからすると、右工事完成以前から本件事故現場を通行していた者が本件現場の道路状況を充分知つていたとはいえない。

(4) 被告県は、被告町の要請を受け、昭和六三年六月頃、本件側溝の有蓋工事及び防護柵の変更工事を施行した。

(四) 以上によれば、本件事故は、被告らが本件側溝を無蓋のまま放置したこと等の道路管理上の重大な瑕疵によつて生じたものである。

3  損害

(一) 弘子の損害

(1) 治療費 三万〇一六〇円

弘子の入院加療に一万八一六〇円、外来診療に一万二〇〇〇円をそれぞれ要した。

(2) 入院雑費 一万〇八〇〇円

弘子が昭和六三年四月二一日から同二九日まで九日間入院し、その間、一日当たり一二〇〇円の入院雑費を要した。

(3) 逸失利益 二五八〇万〇七六八円

弘子は、昭和一八年一〇月一一日生れで、本件事故当時四四歳の健康な主婦であつたから、同年齢の女子労働者の平均賃金二五二万八〇〇〇円を弘子の年収と認めるべきである。そして、右年収に生活費控除率を三〇パーセントとし、就労可能年齢を二二年間として新ホフマン方式(一四・五八)により年五分の中間利息を控除すると、弘子の逸失利益は二五八〇万七六八円となる。

(二) 原告義人の損害

(1) 葬儀費用 五八万二六五四円

葬儀に要した費用九二万九六六四円から労働災害保険による遺族補償金として交付された葬祭料三四万七〇一〇円を控除した残額である。

(2) 慰謝料 一二〇〇万円

原告義人が、妻である弘子を失つたことによる重大な精神的苦痛を慰謝するには一二〇〇万円が相当である。

(3) 弁護士費用 二二〇万円

(三) 原告裕紀子、同洋一郎の損害

(1) 慰謝料 各一五〇万円

原告裕紀子、同洋一郎の精神的苦痛を慰謝するには各一五〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 各六〇万円

4  損害の填補

原告らは、労働災害保険による遺族補償金として、遺族一時金三五六万七〇〇〇円、遺族特別支給金三四六万九〇〇〇円を受領した。

5  前記3(一)の弘子の損害賠償請求権のうち、弘子の夫である原告義人がその二分の一を、弘子の子である原告裕紀子、同洋一郎がそれぞれその四分の一を相続した。右各請求権につき、前記4の補償金を相続分に応じて控除すると、原告義人につき九四〇万二八六四円、原告裕紀子、同洋一郎につき各四七〇万一四三二円となる。そして、右各金額に前記3の(二)ないし(四)の各金額を合算すると、原告義人につき二四一八万五五一八円、原告裕紀子、同洋一郎につき各六八〇万一四三二円となる。

6  よつて、原告らは、国家賠償法二条一項及び民法七一七条一項に基づき、被告らに対し連帯して、原告義人につき二四一八万五〇〇〇円、原告裕紀子、同洋一郎につき各六八〇万一〇〇〇円及びこれらに対する弘子の死亡した日である昭和六三年四月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  被告県

(一) 請求原因に対する認否

(1) 請求原因1の(一)、(五)、4、5の各事実は知らない。

(2) 同1の(二)、(三)、2の(二)の各事実は認める。

(3) 同1の(四)の事実のうち、弘子が「歩道〈1〉」を自転車に乗つて、県道倉敷玉野線と県道岡山児島線との交差点の方向へ南進し、本件側溝にかけられたコンクリート蓋の上付近(「A」地点付近)で進行方向の左に傾き、本件側溝に転落したことは認めるが、その余の事実は知らない。

(4) 同2の(一)の事実のうち、被告県が本件側溝の有蓋工事を担当したこと、被告県が県道岡山児島線の管理者であることは認めるが、被告県が本件側溝の管理者であることは否認する。

(5) 同2の(三)の事実のうち、「歩道〈1〉」は、「歩道〈2〉」との境界付近では幅員が四メートルあるが、それより岡山方面に進むと幅員が二メートルになること、本件側溝の幅員が四八センチメートルであること、本件側溝に面している本件事故現場の路面はアスフアルトによつて舗装されていること、被告県が被告町の要請を受け、昭和六三年六月頃、本件側溝の有蓋工事及び防護柵の変更工事を施行したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(6) 同2の(四)、3の各事実は否認する。

(7) 同6は争う。

(二) 主張

(1) 弘子が転落した地点付近は、歩道の幅員が約四メートルあり、歩行者や自転車が安全に通行するのに十分な幅員があつた。また、歩道も平坦であり、「歩道〈2〉」のうち側溝蓋の部分の東端まで、「歩道〈3〉」に沿つて、ガードパイプが設置されているから、よほど特異な態様で通行しない限り、側溝に転落することは通常考えられない。側溝の幅員も、わずか四八センチメートルという狭いものであるから、そのような所へ防護柵を設置する必要もない。

(2) 弘子は、以前から通勤のため「歩道〈1〉」、「歩道〈2〉」を通行して道路状況を知つていたばかりでなく、本件事故発生当時は薄暗くはなつていても、交差点を通過する車の灯火が絶えない時刻であり、夜間の照明として不足はない。また、「横断歩道〈1〉」の手前の一時停止線で信号待ちをしていた義人から、約一〇メートル先の地点で弘子が本件側溝に転落するのが見えたのであるから、弘子が道路状況を十分に察知できる程度の明るさはあつた。このように、よほど特異な態様で通行しない限り本件側溝に転落することは通常考えられないから、道路標識等を設置する必要はない。

(3) 本件事故発生後の昭和六三年六月頃に、被告県が本件側溝の有蓋工事及び防護柵の変更工事をしたのは、「歩道〈1〉」、「歩道〈2〉」の完成後に、「横断歩道〈2〉」や「横断帯〈2〉」を通つてJR植松駅の駅前広場に出入りする人が増えたため、「横断歩道〈2〉」や「横断帯〈2〉」を通行する歩行者や自転車が真直ぐに「歩道〈3〉」を通つて駅前広場へ行くことができるようにすることによつて混雑を緩和することが目的であり、従前の「歩道〈1〉」、「歩道〈2〉」の危険性に着目したものではない。

2  被告町

(一) 本案前の主張

本件側溝は、被告県の所有、管理する県道の付属施設であり、被告町は本件側溝の管理者ではないから、被告町は被告適格に欠け、本件訴えは不適法である。

(二) 請求原因に対する認否

(1) 請求原因1、4の各事実は知らない。

(2) 同2の(一)の事実のうち、被告県が本件側溝部分を含むJR植松駅高架下工事とその後の有蓋工事を担当し、本件側溝を含む県道岡山児島線の管理者であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 同2の(二)の事実のうち、被告県が担当したJR植松駅高架下工事が昭和六三年三月二四日に完成したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4) 同2の(三)の事実のうち、被告県が被告町の要請を受け、昭和六三年六月頃、本件側溝の有蓋工事、防護柵の変更工事を施工したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(5) 同2の(四)、3、5の各事実は否認する。

(6) 同6は争う。

(三) 主張

(1) 本件側溝は、昭和三八年一二月頃、被告県が県道岡山児島線の用地として買収した後、被告県が右県道の排水溝として整備したものである。右県道は、当時、農地を横切る形で作られたため、本件側溝は、県道の排水溝としてだけでなく、農業用水路を兼ねた施設として利用されることになつた。そのため、本件側溝の管理については、本来、側溝の所有者である被告県が、農地の所有者である地元の住民が行うべきものであるが、本件側溝の占有許可等の日常的に生ずる管理の一部を被告町が被告県に代つて行つていたものであり、本件側溝の改修工事や構造の改善等の管理者として本来行うことができるようなものは含まれていなかつた。また実際にも、被告町は、本件側溝ができてから今日まで、本件側溝の改修工事や構造の変更等の本件側溝の機能を維持するための管理をしたことは全くない。また、今回の県道改良工事及び本件側溝の有蓋工事は、すべて被告県がその構造等の設計及び工事を担当し、その際、被告町は被告県との間で協議をしたものの、右協議は、県道岡山児島線と県道倉敷玉野線との交差点の信号や車線等の交差点改良の協議のみであり、本件側溝の管理者としての協議はしていないのであるから、被告町は、本件側溝の有蓋工事の内容に関与することはできなかつた。したがつて、被告町は、本件側溝の管理者には該当しない。

(2) 仮に、被告町が国家賠償法二条の管理者に該当するとしても、本件側溝は、昭和三七年頃に県道ができてから今回の改良工事が行われるまで、県道に沿つて平行に伸び、その上に蓋がないという構造に変化はなかつた。本件側溝が現在の構造になつたのは、今回の被告県の改良工事によるものであるが、前記のとおり、被告町は右工事内容に実質的に関与できなかつた。また、本件側溝のような県道の排水溝を兼ねた施設の管理は、県道本体と一体的に管理しなければならず、そのような管理ができるのは、県道及び本件側溝の所有者であり管理者である被告県のみである。したがつて、仮に、被告町が本件側溝の管理者に該当するとしても、その管理権限からして、被告町の管理に瑕疵はない。

(3) さらに、本件側溝や「歩道〈1〉」、「歩道〈2〉」の設置及び管理に瑕疵がないことについては、前記被告県の主張と同様である。

三  抗弁

1  被告岡山県

仮に、「歩道〈1〉」、「歩道〈2〉」の設置、管理に瑕疵があつたとしても、弘子は本件事故以前に通勤のため同所を通行していてその状況は十分に知つていたところであり、本件事故当時においてもその状況は察知できたはずであるから、その状況に応じて側溝に転落しないような方法で通行することが可能であつたにもかかわらず、それを怠つた過失があるので、過失相殺を主張する。

2  被告灘崎町

仮に、本件側溝の管理に瑕疵があるとしても、本件事故は、弘子の重大な過失によつて発生したものであるから、過失相殺されるべきである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。弘子は本件のJR植松駅高架下工事完成後間もなく本件事故にあつたのであり、道路状況を十分知つていたとは言い難い。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

一  請求原因1(二)、(三)の事実は原告と被告県との間で争いがなく、成立に争いのない甲第四号証、原告義人の本人尋問の結果によれば、弘子が昭和六三年四月一〇日午後七時二〇分頃、岡山市児島郡灘崎町五六五番地JR植松駅高架下道路先の本件側溝に転落し、頭部打撲の傷害を負い、右傷害に起因する脳膿瘍、脳炎等を併発し、急性心不全により同月二九日死亡したことが認められ、右認定に反する証拠はない。また被告県が県道岡山児島線の管理者であることは当事者間に争いがない。

二  そこでまず、被告らが本件側溝の管理者か否かにつき判断する。

1  被告県がJR植松駅高架下工事を担当し、同工事が昭和六三年三月二四日完成したこと、被告県が本件側溝の有蓋工事を担当したこと、被告県が被告町の要請を受け、昭和六三年六月頃本件側溝の有蓋工事及び防護柵の変更工事を施行したことは当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証の一、二、乙ア第二、第八号証、第三号証の一ないし三、乙イ第五、第六号証、原本の存在及び成立に争いのない乙イ第一ないし第四号証、本件現場付近を原告ら主張の頃に撮影した写真であることに争いのない乙ア第四号証の七、八、第五号証の一、二、証人名部歳太、同湯浅昭和の各証言によれば、被告県は昭和四〇年頃、用地を買収して県道岡山児島線を建設したが、その際県道の雨水処理と農業用水路として利用する目的で右道路敷と水田の間にコンクリート製の側溝を設置したこと、昭和六二年六月三〇日から翌年三月二四日まで県道倉敷玉野線の建設に伴うJR植松駅交差点周辺の改良工事が行われたが、その際被告県は、県道倉敷玉野線と県道岡山児島線との交差点付近の側溝をかさ上げし、鉄格子蓋一枚とコンクリート蓋五枚を設置したこと、本件事故後の昭和六三年六月七日から本件側溝の有蓋部分の延長工事が被告町の要請により被告県によつて施行されたこと、本件側溝とその敷地は被告県の所有であり被告県から被告町に本件側溝につき管理の移管はされていないこと、被告町が本件側溝の改修工事や土砂の除去などの管理をしたことはなく、また、本件側溝の占用許可は被告町が出していたが、これは、被告町が被告県と地元の水利組合等との間を円滑にして支障が生じないようにする目的で事実上実施していたもので、被告町が占用許可に際して占用料を徴収したこともないこと、県道倉敷玉野線の建設に際し、被告町は被告県との間で協議をしたが、右協議は本件交差点の改良に関するものであつて、本件側溝に関する協議が行われたことはないことの各事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の本件側溝の所有、維持、管理の状況、被告町が本件側溝の占有許可を出してきた経緯等を併せ考えると、本件側溝の管理者は被告県であり、被告町は、本件側溝について法律上のみならず事実上も管理、占有していたとは解されないから、被告町は国家賠償法二条一項の管理者、あるいは民法七一七条一項の占有者に該当しない。(なお、被告町は、同被告には被告適格がないとして本件訴えの却下を求めるが、前記のとおり、被告町が本件側溝につき管理行為あるいは占有には該当しないものの、その占有許可を出していた事実があることに照らせば、同被告の被告適格を否定できないから、被告町の本案前の抗弁は失当である。)

三  次いで、本件側溝等の設置、管理上の瑕疵の有無につき判断する。

1  弘子が「歩道〈1〉」を自転車に乗つて、県道倉敷玉野線と県道岡山児島線との交差点の方向へ南進し、本件側溝にかけられたコンクリート蓋の上付近(「A」地点付近)で進行方向の左に傾き、本件側溝に転落したこと、「歩道〈1〉」は、「歩道〈2〉」との境界付近では幅員が四メートルあるが、それより岡山方面に進むと幅員が二メートルになること、本件側溝の幅員が四八センチメートルであること、本件側溝に面している本件事故現場の路面はアスファルトによつて舗装されていることは、原告と被告県との間において争いがない。

2  前記争いのない事実に成立に争いのない乙ア第二号証、第三号証の一ないし三、本件事故現場付近を原告ら主張の頃撮影した写真であることにつき争いのない乙ア第四号証の一ないし八、第五号証の一ないし五、原告義人本人尋問の結果により成立の認められる甲第六号証、証人名部歳太の証言、原告義人の本人尋問の結果、検証の結果を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  本件現場は、JR植松駅高架下の南北に走る県道倉敷玉野線と東北東から西南西に走る県道岡山児島線とが交差する交差点であり、県道倉敷玉野線沿いの「歩道〈1〉」と県道岡山児島線沿いの「歩道〈2〉」との間には幅四八センチメートルの側溝があり、側溝の西側部分(「歩道〈1〉」上)にはコンクリート蓋五枚と鉄格子蓋一枚が設置されていること、「歩道〈1〉」「歩道〈2〉」はアスファルトで舗装されていること、「歩道〈2〉」から側溝までの間は、側溝に向つて下つた土の斜面(以下「のり面」という)となつていること、側溝の北側沿いには本州四国連絡橋公団が設置した白色のガードパイプがコンクリート蓋の北東角(別紙図面記載「B点」)まで延びていること、本件事故現場付近には夜間照明灯は設置されていないが、本件交差点を通過する車の灯火により、道路状況を十分確認できる状況にあること、

(二)  「歩道〈1〉」は、車道から約二〇センチメートル高くなつており、全体的に北から南に向かつて極くわずかな下り勾配になつているが、「横断歩道〈1〉」「横断帯〈1〉」で車道との段差を解消するため「横断歩道〈1〉」の北端付近で南に向かつて下り勾配となり、さらに、「横断帯〈1〉」の南端付近から南に向かつて前記下り勾配と同程度の上り勾配となり、別紙図面の鉄格子蓋、コンクリート蓋付近で車道から約二〇センチメートル高くなつていること、そして、別紙図面の鉄格子蓋、コンクリート蓋から南側が「歩道〈2〉」となるが、「横断帯〈2〉」「横断歩道〈2〉」で車道との段差を解消するため、別紙図面の鉄格子蓋、コンクリート蓋から南東方向に向つて下り勾配となり、「横断帯〈2〉」の北西角付近で車道とほぼ同一平面となつていること、「歩道〈1〉」が「歩道〈2〉」と接する付近の幅員は約四メートルであるが、「歩道〈1〉」は「歩道〈2〉」と接する部分から大きく東折し、東折終了後の直線部分になると、その幅員は約二メートルになつていること、

(三)  本件事故当時、本件側溝の南側沿いとコンクリート蓋の東端部分にはガードパイプは設置されておらず、同所付近には、進路変更や側溝の存在等を示す標識はなかつたこと、本件事故当時、「歩道〈2〉」ののり面は、別紙図面記載のとおり、コンクリート蓋の東端付近を起点として円弧状に幅を広げ、その後は側溝と平行になつて約八六センチメートルの幅を維持しており、また、右のとおり、のり面が円弧状に幅を広げている部分については、のり面自体が側溝のある北方向だけではなく、東方向へも下り勾配となつており、その部分ののり面は、土が露出していたこと、

(四)  原告義人は、本件事故当日の昭和六三年四月一〇日午後七時一〇分頃、自己の運転する自動車に弘子を同乗させてJR植松駅前に至り、同所で弘子を降ろし、県道倉敷玉野線を南進して「横断歩道〈1〉」の手前で赤信号のため停止していたところ、弘子が植松駅に置いていた自転車に乗つて「歩道〈1〉」を南進し、「B」地点付近で左に傾いた直後、急に弘子の姿が見えなくなつたこと、そこで、原告義人は、自動車を付近に駐車して駆け付けたところ、自転車は、「B」地点付近の側溝に停止しており、弘子は、その東側の側溝に落ち、気を失つて倒れていたこと、

(五)  被告県は、本件事故後である昭和六三年六月七日から同年七月一一日までの間に、従来のコンクリート蓋の東端から東方へ側溝蓋の延長工事(コンクリート蓋八枚、鉄格子蓋一枚)をするとともに、前記ガードパイプの西端付近を一部撤去したこと、右側溝蓋の延長工事は、朝の通勤時間帯に「横断帯〈1〉」「横断歩道〈1〉」を通つてJR植松駅に来る自転車や歩行者と、「横断帯〈2〉」「横断歩道〈2〉」を通つてJR植松駅に来る自転車や歩行者とが一緒になつて混雑するため、「横断帯〈2〉」「横断歩道〈2〉」を通つてJR植松駅に来る自転車や歩行者が真直ぐに駅構内に入れるようにして混雑を緩和する目的で地元の要望に基づいて行われたものであること、右改修工事前も後も本件側溝に転落する事故は起きていないこと、

右認定の事実によれば、「歩道〈1〉」のうち、鉄格子蓋、コンクリート蓋付近の幅員は約四メートルあり、「歩道〈2〉」に入ると、すぐに大きく東折しつつ、その幅員が二メートル程度に狭まり、「横断帯〈2〉」「横断歩道〈2〉」の方向へ下り勾配となつてはいるものの、本件事故当時、コンクリート蓋の東端である「B」地点まで白色のガードパイプが設置されており、本件側溝の幅がわずか約四八センチメートルであることからすると、このガードパイプが「歩道〈1〉」を南進する自転車や歩行者が「歩道〈1〉」から直接本件側溝に転落するのを防止するとともに、安全に通行できる範囲を示す目安ともなつており、また、鉄格子蓋、コンクリート蓋付近を頂上とする「歩道〈1〉」「歩道〈2〉」の勾配も自転車の通常の走行状態における安全性を阻害する要因になるとは解されず、さらに、「歩道〈2〉」はアスファルトで舗装され、幅が二メートル程度あることからすると、本件事故現場付近で大きく東折していることを考慮しても、自転車の通常の走行状態の安定性を阻害する要因になるとは解されない。このように、本件事故現場における「歩道〈1〉」「歩道〈2〉」ガードパイプ等の構造からすると、「歩道〈1〉」を南進する自転車が、通常の走行状態において、「歩道〈2〉」へ東折する際に本件側溝に転落することは極めてまれな場合であるというべきであり、これまでに転落事故も起きていないから、被告県が本件事故当時、本件事故現場に設置されていた以上のコンクリート蓋、ガードパイプ等を設置せず、あるいは、道路標識、夜間照明等を設置しなかつたことをもつて本件道路や本件側溝の設置、管理に通常有すべき安全性を欠き、瑕疵があつたということはできない。

なお、原告らは、弘子の自転車がスリップして本件側溝に転落したと主張するが、本件全証拠によつても、弘子が本件側溝に転落した原因は特定できないうえ、原告らは、右自転車がスリップした原因の一つとして、本件事故現場の路面に砂が散在してスリップしやすい状況であつた旨主張し、甲第六号証(原告義人の陳述書)、原告義人本人尋問の結果中には、右主張に添う部分が存在するが、右各部分はいずれも信用できない。さらに、弘子以外にも本件事故現場において自転車に乗つて左折中の者が本件側溝に転落した旨の陳述書(甲第五号証)が存在するが、右陳述書中に記載されている事故は、本件事故現場とは異なる場所で発生したものであると解されるので(乙ア第一号証、第七号証の一ないし三)、右事故の存在をもつて本件事故現場における原告ら主張の瑕疵を裏付けるものと評価することはできない。

四  よつて、原告らの被告らに対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 将積良子 安原清蔵 遠藤邦彦)

別紙図面

〈省略〉

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